新潟県立三条中学校・高等学校同窓会
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京都の片田舎での所感(5年度源泉より)

支部長(高14年卒) 安中 亮二

 今年、傘寿を迎えた。会社を定年後20年が経過した。
 定年後の生活で住んでいる地域とのかかわりを振り返り所感を述べてみたい。
 現在住んでいる京都府宇治田原町銘城台に転居して18年を迎える。
 森林が70%を占める人口約9000人の京都の片田舎で日本緑茶発祥の地
 緑あふれるお茶の町がキャッチフレーズである。
 定年後に息子夫婦が同居しても良いとの同意をしてくれたので、大阪府枚方市 より引越しをしたのである。京都の片田舎に手頃の2世帯住宅があった。  住居は閑静な新興住宅で妻と息子夫婦、孫の男と女の双子の高校生二人、小学生の女の子一人の計7人の2世帯で暮 らしている。
 銘城台の人口は約1000人、330世帯の規模で団地ができてから30年程経っている。 昨今は私が60歳で定年した時代と異なり、年金の受給が 65歳以降となり60歳定年後も働く人がほとんどで、悠々自適とはいかなくなっているようだ。  共働きの世帯が圧倒的に多く自家用車は2〜3台所有している。
 町には鉄道が通っていないので他の市町村に行くには路線バスを利用するしかなく自家用車がないと不便なのである。
 そんな片田舎の京都府宇治田原町銘城台に転居し6年目に地元の町議会議員から銘城台の区長就任の要請があった。
 6年しか暮らしていない地域なので引き受けるのに迷いがあった。故郷の加茂市で父親が地元の区長をやり兄は市議会議員だった。 父親や兄と同じく奉仕の心で世の為人の為に尽くし、少しでも二人に肩を並べてみたい。今までと違う世界で活動するのも良いかなと思い 区長を引き受けることにした。4月に銘城台自治会の定期総会で区長に選任された。任期は一期2年である。 住みよい街づくりには問題点、課題はたくさんある。近所の数人しか顔見知りがいない状況で協働してくれる人が必要である。 そこで縁あって銘城台に住みいろいろな分野で活躍されている男性の交流の場、男のサロンを創ることにした。 会の名称を「銘友会」とし20名程度をリストアップし一人一人に声を掛けて回り賛同得て設立した。 一人2000円の会費制で一杯のみながら情報交換、情報収集の場を創った。この銘友会は私にとって大いに機能したのである。 お互い気心を知り合うことができ、絆が深まり地域の問題点、課題を共有することができた。 私にとって区長の職務を遂行する為の一つのベースと なった。
 区長は地域の代表で行政とのパイプ役であり、これも一つの大きな職務であった。  ある日、妻と町内を散歩中にある女性に会った。妻にストレッチを教えている先生である。 ユニチカのバスケットボールのOGであった。私も松下電器でバスケットボールをしていた関係ですぐに打 ち解けた間柄になった。
 この女性の推薦で宇治田原町スポーツ推進委員に就任することなり宇治田原町を深く知ることのできるもう一つのベー スになった。人の出会いが人との出会いを生み輪が広がってきたのである。区長の職務で宇治田原町の補助金を活用し、 カラスに困っていた19か所のごみステーションを鉄の籠に改良、交通安全のためカーブミラーの追加設置、交通安全啓発 看板の設置、道路の補修等身近な課題の解決に取り組んだ。
 宇治田原町は11 の地域があり町内で11銘城台自主防災会」を設立した。いつくるかわからない災害に対して 自分たちの地域は自分たちで守る住民主体の防災向上の必要性を訴えて自主防災設立協議会で半年間程議論を重ねた上に 自治会の定期総会で設置が決った。防災対策の基本の「自助・共助・公助」の体制ができた。 これで町内11区に自主防災会が組織され町内全体の総合防災訓練ができるようになったのである。
 新たな防災倉庫の建設や防災資機材の整備拡充は京都府と宇治田原町の地域活性化助成金を活用できた。 防災訓練は避難訓練、初期消化訓練、炊き出し訓練、 避難場所運営訓練等住民の隣保協働の精神で実施できた。
 「地域の子供は地域が守り育てる」銘城台の交差点で子供たちの登校時に事故のないように見守り活動を実施、 こころある住民のボランティア精神を発揮してもらった。
 子供会、女性会、老人会、PTA地域委員と連携をして夏休みのラジオ体操、 流しソーメン、餅つき大会等のイベントを企画実施して世代間交流の推進を図ってもらった。
 区長の困り事は人事である。宇治田原町から各種の委員就任の要請がある。  例えば民生児童委員、青少年を守る会、開発審議委員、環境審議会委員、社会福祉協議会の委員、広報モニター等の選出の人事である。 人脈が広く深くないと適任者を見つける事ができない。銘友会のメンバーや自治会の役員の協力を得る事ができて大いに助かった。 区長は三期6年間であった。後任の人選に苦労したが区長としての仕事は自分なりにやり切った感はある。 区長以外に開発審議委員6年、学校評議員7年、スポーツ推進委員14年、少しは社会に貢献できたと思っている。 物事を実施するときは、できない理由をさがすよりはどうしたらできるかを考え必ずできる、必ず実行するとの強い気持ちを持ち 人を巻き込んで推進することが大切であった。  「熱意は人を動かし決意は自らを動かす」のである。  リーダーは「創造と挑戦」「リーダシップの発揮」「率先垂範」である。傘寿を迎え肉体的に衰えを感じるが老人会の会長を引き受けた。 コロナ禍、人との交流やつながりが失われた。コミュニ ケーションがなくなると名前を忘れてしまう。「青春とは心の若さである」松下幸之助の言葉である。 「心の若さ」で地域の絆の再構築に向けてもうひと踏ん張り、持てる能力を発揮して老人会の発展に貢献していく所存である

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今の自分が在る(3年度源泉より)

支部長(高14年卒) 安中 亮二

 コロナ禍で令和2年度の関西支部総会を中止した。

 令和3年度はコロナ収束が前提で 11 月 27 日 (土)を予定している。

 不要不急の外出を控え巣ごもりの生活が 続く中、若い頃を思い出し古い資料の三条高 校バスケットボール部 部史(編集者塩原俊 平先生)をひもといた。

 布施征之(三条二中)荒井喜勝(若宮中)水科建夫(三条二中)峯島登(燕中)安中亮二(若宮中)は三条高校で昭和34年・昭和35年・昭和36年の3年間バスケットボールで同じ釜の飯を食べた同期生である布施征之、荒井喜勝と峯島登は残念だが今は天国にいる。
この5人は昭和35年の2年生当初より、上級生がいない関係でレギュラーの地位を余儀なくされ た。気が合い仲もよかった。
技術的にも優れていたと思う。関東大会予選、インターハイ予選、国体予選、NHK杯、新潟県高校総合大会など新潟県で優勝した。関東大会、インターハイは2年連続出場を果たした。しかし、関東 大会は2年時2回戦敗退、3年時準決勝敗退3位、インターハイは2年時1回戦敗退、3年時3回戦敗退、国体は2年時2回戦敗退、3年時は北信越予選3回戦敗退で国体は出場できなかった。
身長に恵まれず小型選手であっ たが、プレスデフェンスからの速攻がチームの特徴であった。技術的には近年になく優れているといわれていたが残念ながら周りの期待を裏 切ってしまった。
せめての慰めは2年間県内無敗の記録だ。
名門三条高校はその後、後輩が昭和 38年・ 39年インターハイで優勝し第3期黄金時代を築いている。「三条に中村あり」と云われた名コーチの中村重治先生の献身的で温かい中にも厳しいご指導と後援会、地元関係各位のご理解とご支援など、恵まれた環境で バスケットボールができた事に感謝したい。

 戦績は悪かったが猛練習に耐え、共に苦しみ共に泣き共に喜び合った有意義で貴重な三 年間だった。高校、大学、会社とバスケットボー ルを通じてきつかった事、苦しんだ事、つらかった事などは、今までの人生にどれだけ役に立ったか計り知れない。
あれだけ激しく厳しい練習をやってきたのだから、乗り越えられない事はないと仕事に対しても強い精神力を発揮で きた場面もあった。
たくさんの人との出会いとステージがあった。
高校時代に対戦した選手と同じ大学や同じ会社でチームメートとして一 緒にプレイをする時代もあった。
周りの優秀なメンバーに恵まれて明治大学ではインターカレッジで優勝、松下電器では第1回日本リーグで優勝の経験もした。

  60 歳以上がメンバーの神戸の「シルバーキッ ズ」に参加して全国大会に出場した事もあった。会社を定年後は京都府宇治田原町で世の 為人の為、地域活動や地元中学校でバスケットボールを教えたりして昨年元気で喜寿を迎えた。原点とも云える三条高校でバスケットボー ルをやって良かった。
だから「今の自分が在る」

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「2019年度三条高校同窓会関西支部総会 の報告」
(2年度源泉より)

支部長(高37年卒) 安中 亮二

 2019年11月23 日大阪梅田にて、関西支部総会を開催、来賓として同窓会本部 野水重明会長、三条高校 中田亮一校長、東海支部大橋副支部長にご出席いただき、総勢22名の支部総会となりました。

 諏訪前支部長より、活動報告、会計報告の後、会則変更の提議があり、利便性、迅速性、経済性から支部・会員間のネットによる情報交換を推進するため特命担当のサポーターの設置、会員名簿、メールアドレスの管理、個人情報の保全等の条項を会則に追加することになりました。

 次年度以降の課題として取り組むことになります。  2020年度の支部役員体制は、支部総会の参加者を増やし盛大に開催すること をめざして、役員幹事に新たに4名を加え8名体制とし、担当職務を明確にし運営す ることになりました。

 懇親会は元支部長の森田悌司さんの乾杯で始まり、野水会長、中田校長、東海支部の大橋副支部長よりご挨拶をいただき、会員の近況報告、校歌斉唱でお開きとなりました。  今回のビックニュースは平成12年卒業の女性の会員が参加されたことです。参加者全員大変な喜びでありました。

 平成卒業の会員が今後たくさん参加されるように推進したいと思います。

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「関西支部」(31年度源泉より)

支部長(高36年卒) 諏訪 輝昭

 平成三十年十一月二十四日京都四条東華菜館にて関西支部総会を開催。
来賓として同窓会本部野嵜喜一郎三条支部長、三条高校中田亮一学校長、東海支部赤塚輝元副支部長にご出席いただき、総勢二十五名の総会となりました。総会開始に際して、川崎先生を始めこの年物故された同窓生のご冥福 を祈って出席者全員で黙祷を捧げました。

 平成三十年六月、関西のみならず全国的に著名な建築家である川崎清先生(昭和二十六年卒、京大名誉教授)が逝去されました。川崎先生は三条高校の学舎の設計者であり、関西支部設立時より総会には必ず出席戴き、支部の精神的支柱として貢献戴いてきました。今回の総会において、川崎先生の 一年後輩である飯山嘉昭関西支部初代支部長より、「川崎先生を偲んで」と題して、学生時代から今日までの長い交流についてお話を戴きました。特に、新学舎計画から完成までの川崎先生と飯山さんを中心とした支部の云わず語らずの物心両面での協力と貢献を感慨深く伺った次第です。

 川崎先生は関西建築界の重鎮として、現在の京都駅の設計コンペの審査委員長を担われましたが、最近亡くなられた梅原猛や安藤忠雄等著名人が反対する中で,如何にして現在の京都駅の設計を選定されたのか、そのご苦労を伺って見たかったと残念に思います。

 もう一人、ご紹介したい同窓生で、近江八幡市在住の岩原侑さん(昭和二十八年卒)が平成三十年十月に逝去されました。「メンターム」の近江兄弟社社長として会社の再生に多大な尽力をされ、近江八幡市の商工会議所会頭として地域社会に貢献された方です。関西支部の総会には一度だけ参加戴きましたが、以後体調不良で参加いただけないまま、逝去されました。キリスト教に帰依し、新潟大学卒業後、伝道師で著名な建築家、帰化米国人であるW.M.ヴォーリス設立の現在の「メンターム」販売会社である近江兄弟社に入社、後年、同社が倒産、「メンソレータム」の商標権を失い、再建途上で社長に就任、ユニークな経営手法で多額の負債を完済し、見事に再生させました。近江商人発祥のこの地で、新潟県出身のキリスト教徒が優れた経営者として高く評価されていることは驚くべき ことかも知れません。

 本総会では、何人かの比較的に若手の同窓生が、人事改選のある今年末には、役員・幹事として、支部を盛り上げたいとの特筆すべき提案がありました。今後の関西支部発展のため、大いに期待したいと考えます。 以上

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「関西支部だより」(30年度源泉より)

関西支部

支部長(高36年卒) 諏 訪 輝 昭

平成29年11月25日大阪梅田にて関西支部総会を開催、同窓会本部より山井太会長、三条高校上杉肇校長、東海支部より若狭修三支部長、大橋幹事が出席され、総勢27名の総会となりました。

今回初めて関西支部緻会に出席頂いた山井会長よりは、本部の新たな試み全般につき説明頂きましたが、何よりも、積極的な若手幹部の登用等括目すべき改革に感服いたしました。上杉校長よりは、社会の変化は大きな時間差を経ず三高にも表れ、本年より女子生徒数が男子生徒数を越えているとのお話でした。

本総会での新しい試みとして、関西地域で多様な分野で活躍される同窓会月を紹介、講話をお願いする企画です。泉佐野市野上病院泌尿器科常勤医として活躍される梅原雅子(うめはらみやこ、昭60年卒)先生にお願いし「おしっこあれこれ」と題して講演を頂き、出席者の多数を占める適齢期の聴衆は切実な問題として大いに興味を持って傾聴された次第です。

懇親会は、前支部長森田悌司さんの乾杯発唱で開始、支部創世期の支部長飯山嘉昭さん、今回支部長を退任される吉原文治さんのスピーチが続き、三条高校バスケットボール第1回目の全国制覇の時主将を務められた田中宏(昭28年卒)さんがお話され、往時の話に盛りました。

次回平成30年度総会は11月24日(土)京都開催で決定。賑やかな懇親会の後、次回の再会を約して散会となりました。

同窓会の有り様も関西支部20余年の問に大きく変化した様に思われ、再検討の必要があります。支部創世期は大先輩である川崎先生を中心に飯山さん、森田さん達が集まり、京都での総会開催時、皆さんが嵐山の河畔を散策する姿は旧制高校の同窓会の様な趣きがありました。然し、時代が変わるにつれて、多様な会員が、多様なものを求め、必ずしも、一律では御しできない様に思われます。遅まきながらもそれが何か、会員との対話を通じて模索せねばなりません。

今後、支部会報誌の発行、企業・施設見学会、先輩方の講話等のささやかな機会を作り、会員同士の対話を通じて獲得したいと考えております。      以上

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「関西支部だより、次は女性軍の参画増だ」(29年度源泉より)

支部長(高5回卒) 吉原 文治

先般の我が支部稔会は昨年11月末の土曜日、場所は京都のド最ん中、修学旅行に馴染みの四条大橋西話の「いづもや」で開催。しかし、参加者は前回比で3名増のみ。それでも、賀茂川の流れを眼下に盃を交わし、「風空襲を」を歌い、三条高校時代に想いを馳せ、今を生きる夫々の生き甲斐などをさりげなく語り合った。出席された方々は、明日からは越後人の粘り腰でやってみるかとの思いを懐いて帰られた筈。となれば、総会を主催した私として喜ばしいのですが、まだまだ参加者数の嵩上げが足りないと考えます。

この残念な現状を踏え、我が関西支部は、次の日月25日に予定の支部総会に向け早く始動。懸案の女性会員への総会出席勧誘です。3年前から女性会月の総会会費を五百円安としているのですが、やはり「呼び掛け誘い掛け」を分担して進めることが必要で、それが最善と考えるに至りました。遅ればせ乍ら、当然とも言える取組みです。

そこで、キッカケ作り、と考えたのが次のプランです。それが具体的に動き出すのは、この6月です。その頃に予定の泉田玉堂老師(三高S36年) の庵への当支部有志による訪問です。その際のリーダーが当支部副支部長の石田 (S35年) さん。彼女にはその機会を活用、我が関西支部総会への積極参加に繋ぐことを期待しているところです。

実は近年、三高OB/OGの関西方面への就職定住者の数が近年ほヾ半減しており、我が支部の存在基盤も安泰ではありません。しかし、さる5月1日に催された本部総会の動力動員力。暗く寂れた三条市街の中でひときわ輝いていたことを思い、私共も、と思い改めました。
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「関西支部新体制の発足
おもしろくて為にもなる場作り目指して」
(28年度源泉より)

支部長(高5回卒) 吉原 文治

去るH27・04・01、私ども関西支部では支部長に吉原文治(S28)が就任。その8ケ月後H27・12・05に本年2回目の支部総会を、前回を6名上廻る22名(来賓を除く)出席のもと新阪急ホテルで開催。支部長を支える役員人事を次の通り決めました。

まず副支部長に石田礼子(S33)、諏訪輝昭(S36)、支部総会活性化の為新設する参事会の代表に安中亮二(S37) の各氏を充て、事務局長は岡田忠吉が引続き担当し、その支え役を野崎善弘(S41)が担うことになりました。

このように新支部長決定から、当支部の体制が整うまで8ケ月も要したのは、先の当支部総会の出席者数が16名(来賓を除く)と大変少なく、何とかせねばの声が上がり、新執行部は発足早々からこの課題に取組んで来た為です。その検討会は3名程の少数から10名規模まで5〜6回集まりました。手弁当で。この課程で我が支部役員が自ずと定まって行きました。その諸会合の中でハッとさせられたのは、某先輩の名前がインターネットで出ていました。との或る女性の発言でした。

通常、同窓会では卒業年次差があり、同じテーブルに座っても、初対面となることが多く、「初めまして私は何年卒の…」となってお互い打ち解けにくい事があります。

申し訳ないと言うべきか、先程の女性会員が話題にしたかったと思われる様な人物は我が三条高の先輩方の中には見つけにくい。人寄せパンダの様な人物、所謂有名人は少ないのが現状です。

そこで先般の支部総会で私は出席者各位に次のお願いをしました。その狙いは我々の同窓会に参加する若い後輩達の多くが参考になる苦労話が聴けた。元気づけられた、何よりも話し手の熱気が伝わって来たと言ってもらう事です。例えば
合併/被合併の渦の中で、異国でのお仕事の中で、第二/第三の職場などでのご心労の中から得られた自信、その各自の大きな財産をさりげなく。

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「平成26年度支部総会」


支部長(高5回卒) 吉 原 文 治

今年は当地関西でも、春の訪れは遅い。三高同窓会関西支部が総会を催した3月29日も、京都嵐山では桂川の水面 (ミナモ)は鈍く映り、岸辺の草も殆んどが未だ眠ったままで、桜並木の枝に小さな菅が見られる程度。

そうした冷え冷えとした気候の中で、本部渡邊会長、名古屋支部長外の2名、計3名の方々を、嵐山対岸の 「弁慶」 で関西支部の森田支部長、川崎特別顧問ほか会員の13名が暖かい思いでお迎えして、計16名(うち女性は地元からの1名) の参集で正午から総会がスタート。

森田関西支部長の司会進行の下、1年振りの再会の機会に予て用意?の近況などを夫々が熱く語られ、多くの出席者が往時の面影とその後刻まれた年輪や経絡の深さに聴き入った。

終りに、森田支部長の発議で本人の支部長辞任と、新支部長への吉原文治氏の就任が提議され、出席者支部員に異議無く、この4月1日附で新支部長に吉原文治氏が就任することとなった。

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「平成25年度支部総会」

支部長(高4回卒)森田 悌司

此度、関西支部では待望の横断幕ができましたので、顧問の京大名誉教授川崎清先生による除幕式で披露されました。川崎先生の設計による三高の校舎の全景図が主体となっていますので、ざっと教室などの配置について色々とご説明していただきました。そのうち二階にプールを設置された事などに色々質問がありましたのが印象的でした。

その横断幕の前で、ご多忙中遠路ご出席して下さった平澤校長先生、渡邊同窓会長を囲んでの記念写真を撮りました。

第19回関西支部総会は3月30日、「嵐山弁慶」 で開催されたのですが、実は昨年の18号の台風襲来の所、渡月橋の槁桁が洪水により危険な状態となったので、渡橋禁止の措置がとられた由テレビで報道されましたので、果して本年の会場「嵐山弁慶」の被害は如何ばかりかと心痛していたのですが、幸い高台に建っていたので、さしたる被害がなかったとのことでした。会は例年通り岡田事務局長の司会で開会、渡邊同窓会長の力強いご挨拶、校長先生からは今年の卒業生の進学者、国公立大学への合格者の数は県下第3位だったこと、又仙崖和尚の話など有難うございました。そして飯山顧問の音頭で乾杯のあと、出席者が夫々自己紹介を兼ねての三高時代での思い出話で花を咲かせていました。そのうち、渡辺操六さんがバスケットボールの選手だった時、インターハイで全国制覇した時の部の顧問の先生が国漢の磯野先生だった由。大変懐かしい名前でした。

元広島商科大で教授、現福山女子短大で非常勤講師の江部隆さんが、広島円通寺で若き良寛さんが修業されていた当時の銅像の写真などご披露していただきました。又今年も藤原陽子さん近藤公子さんの紅二点、会場を華やかにしていただき有難うございました。

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「平成24年度支部総会」

支部長(高4回卒)森田 悌司

京都の景勝地、嵐山の桜は私達関西支部の総会を祝って満開となりました。会場の「嵐山弁慶」は京懐石の老舗の料亭。保津峡の川下りの遊覧船の船着場の近くで、少し早めに到着された方には嵐山温泉の湯で旅の疲れを癒やしてくださいとのこと。私達がこの会場を選んだ理由の一つには時間に束縛されない点。更に今年はじめて出席される平澤校長、及び渡邊同窓会長、倉藤東海支部長、若狭副支部長の各位に長時間の旅の疲れを少しでも眺望の良さで癒やしていただきたいとの願いを込めてあります。

会は岡田事務局長の司会で開会宣言。支部長から、多忙中ご参加くださった方々への感謝の言葉。次に型通りの会務報告。5月1日の三高同窓会総会には支部長が出席。又新年度の総会には出来る限り多くの方々のご参加をお願いしました。24年度は幸いにも6月に東海支部が名古屋で発足。設立総会には関西支部から支部長と岡田事務局長が出席し大変お世話になりました。更に母校は創立110周年記念を10月に式典を挙行。24年度の活動は殆ど寄附金募集のPRに終始しましたが、おかげ様で皆様方の温いご支援を賜り無事お祝いすることができました。有難うございました。

平澤校長先生、渡邊同窓会長さん、倉藤東海支部長さんの貴重なご挨拶の後、飯山顧問の音頭で乾杯しました。

さて私共の懇親会では出席者が夫々自己紹介を兼ねて、三高時代の思い出をお話していただいていますが、今年も矢張りバスケット部のインターハイでの全国制覇の思い出に話題が集中した模様でした。高校生活という青春の一駒。若き血潮のたぎっていた時代を思い出すことで、明日へ頑張るための起爆剤としたいものです。

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「平成23年度支部総会

高第4回卒 森田 悌司

平成23年は東日本大震災や福島原発の事故、それに加えて台風12号、15号による紀伊半島の豪雨による災害で、実に暗澄たる状態でしたが、11月3日、私達関西支部の先輩川崎清先生が、瑞宝中授章の叙勲という朗報に、にわかに明るい話題を得たことは大変嬉しいことでした。

此度、4月1日の三高同窓会関西支部の総会、懇親会では渡邊同窓会長を迎えて、河崎清先生のお祝いをすることになりました。京都大学名誉教授としての川崎先生を京都新聞で次の様に掲載されていますので、ご紹介します。
 
「建築デザインを理論面から研究する一方、大阪万博で万国博美術館を設計、会場計画の立案にも携わった。みやこめっせ(京都市左京区)や相国寺承´閣美術館(上京区)といった市民になじみ深い建築を手がけ、数々の賞を受けている。場所の特性や人のつながりを重視。「建築は敷地の中だけでなく、外部との関係が重要。新しい情報が加わると建物が進化する。」といい「一本の線を引くため、百本の線を引く覚悟を」と後進たちを指導、高松伸・京大教授ら多く の建築家を育てた。現在も京都市内で建築デザイングループを主主宰。「大変名誉で光栄なこと」とと受賞を喜びながらも「理論を社会にどう役立てていくかと考え続けている」と。叙勲に至る経緯を身近にお開さして、社会に貢献する仕事の大切さを改めて考えさせられました。

さて、渡邊同窓会長から母校が今年創立110周年を迎えるに当り、10月に記念式典を開催するので、事業基金についての協力の要請がありました。皆様宜しくお願いいたします。

また、東京から高橋廣吉さんがご参加。座を明るく盛り上げて下さいました。更に旧英語の田中先生の娘さん米田さんと同期の石田さんの紅二点の方が華を添えていただいて、誠に感謝に耐えません。ご出席の皆さん三高在学時の思出話を有難うございました。これを活力にしてお互い又頑張りたいと存じます。

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「平成22年度支部総会」

高第4回卒 支部長 森 田 悌 司

今年は例年にない寒さが立春以降続いていますが、皆様のご体調如何ですか。3月11日の宮城県息のM9を超える地震、火災、津波そして福島県の原発事故。ご被害に会われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

関西支部は総会懇親会を4月3日京都嵐山「弁慶」に於いて開催しましたので、ここにご報告申し上げます。

開会に先立ち此の度の東日本大震災により亡くなられた方、及び同窓会の物故者に対する黙祷を全員で捧げました。司会は岡田事務局長。

来賓の渡邊同窓会長さんからは、原発事故により南相馬市から三条市に避難された方が約5百人居られ、高校としての受け入れの為忙しいので校長先生がこの総会に来る事が出来なかったとの報告と、今年5月1日の同窓会は懇親会を中止して、会場を三条高校に変更して開催することになった由、出来るだけ多くの方々のご出席を要請されました。

支部長より先ずご多忙中誤算かいただいた、渡邊会長さんと皆様への感謝を申し上げ、1年間の同窓会活動の参加状況を次の通りご報告致しました。5月1日の総会には支部長森田と、かつて三高の理科の教諭をされた有本先生のご子息も有本さんが出席。7月の母校三高での「伽灰燼講話」には講師として滋賀県近江八幡市に在住されて居る近江兄弟社社会福祉事業団の岩原理事長さんが参加されました。10月の定時制閉課程に伴う記念碑の除幕式典には岡田事務局長が参加、式後の感謝の会では日本舞踊を披露し好評。

乾杯の音頭は飯山前支部長。続いて出席者各位による自己紹介と高校時代の思い出や近況報告など、和気あいあいでした。今年は特に若い方と女性の方が増えたことは嬉しい事です。

明日の活力の為に、高校時代の思い出話を大いに語り合いたい
ものです。更に会場では嵐山温泉の湯で心から温めて頂いたことを感謝申し上げます。

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「平成21年度支部総会」

高第四回卒  支部長 森田 悌司

四月四日、阪急電車河原町の地下の駅を上ると、そこは木屋町通りで高瀬川の両岸の桜がちょうど満開のときでした。 その東側、、四条大橋の手前、京都先斗町のいずも屋が平成二十二年の三高同窓会関西支部総会の会場で、かつて幕末の頃勤皇の若き志士が往来し、飲み、歌い、議論を活発に交わした由緒ある所でした。

先ず、岡田事務局長の開会宣言のあと、支部長から、ご多忙中ご参集下さった方々ヘの感謝の言葉と、今年度の主な行事、五月一日のハミングプラザVTIP三条での総会への出席の勧誘。七月の社会人講話に講師としての参加への要請。

又本年度事業の一つである定時制課程の廃止に伴なう記念碑建立のための浄財募集へのご協力をお願いしました。

本年はじめて出席していただいた渡邉同窓会長のご挨拶の中では、マルソー運輸の会長としての職務を全うしながら今年大学院に進学して勉学にも励んでいる事を話されたのが印象的でした。

小島校長先生は、お話の中で、定時制課程廃止に伴なう記念碑の建立について、定時制の卒業生だけでなく、同窓会全体の事業として推進していることについて謝意を表され、十月二日校庭内に「ここに働学の地ありき」の記念碑除幕式挙行の予定と話されたことが印象に残りました。

京大名誉教授の川崎清顧問の音頭で乾杯の後、出席者全員から順番に自己紹介を兼ねて近況やら高校時代の思い出などをご披露していただきました。三高バスケット部で全国制覇をなし遂げられた渡辺(操)さん他の皆さん、紅一点初参加の米田さん、又来年も元気で参加して下さる様お願いします。

最後に校歌斉唱して散会。青春の思い出を語ることは元気回復の源です。益々のご健勝をお祈り申し上げます。

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「平成20年度支部総会」

高第4回卒  支部長 森 田 悌 司

桜の開花宣言の後、急な寒波の襲来によって大変寒い日が続きました。暖かい日があっただけにこの寒暖の差で、体調を悪くされた方も多かったのではないか、と心配される三月の最終日曜日。中條会長を迎えて関西支部総会を開催。大阪のお初天神社前の老舗料亭がんこ曽根崎本店でなごやかな温和な会だったことを報告致します。NHKの朝の連ドラ「だんだん」の舞台が祇園だった為、一躍観光ブームとなり今年は京都での開催は無理との理由からでした。

岡田事務局長の司会で開会宣言。支部長からは、多忙中遠路ご参加下さった中條会長への感謝の言葉についで一応型通りの事務報告。

まず同窓会総会が5月1日、例年通り三条で開催されるので「総会でおめにかかれるのを楽しみにしています」を合言葉に多勢の出席をお願いしました。次いで毎年七月第一金曜日に予定されている「社会人講話」の講師としての参加の要請を行いました。平成二十年の講師には大阪市立大学大学院教授として現役でご活躍の山倉拓夫先生が講師として参加して下さったことをご報告しました。山倉先生は三高四〇回卒で、和歌山県の橋本市にお住まいの方で、地球環境に精通されている方。私たち関西支部にとっては京大名誉教授の川盗エ先生(三高三回卒)と共に大変誇りに思っています。

旧三高校舎跡地に記念碑が浄財により建立され、4月16日に除幕式が挙行されることが決定されたので、出席者全員のご賛同を得て、関西支部として金一封寄附致しました。

さて、私共の懇親会では出席者が夫々自己紹介を兼ねて三高時代の思い出と現状を語りましたが、特にバスケットボールの全国大会で優勝した時の栄光の思い出には話題が集中していました。青春、それは明日の為の起爆剤としたいものです。

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「平成19年度支部総会」

高第4回卒 支部長 森田 悌司

昨年に続いて今年も観光地京都で、同窓会関西支部の総会を関催しましたので、ご報告申しあげます。時は三月最後の日曜日、所は言て日本の経済成長期に大ヒットした「お座敷小唄」で有名な先斗町の「いずも屋」。
 
司会者は岡田事務局長に担当していただき、先ず支部長から遠路はるばるご出席下さった、中備同窓会長殿、荒木三高校長殿、竹井副会長殿、小嶋副会長(源泉編集長)殿各位に対する謝意と、あいにくの雨の中をご参加くださった方々に心から感謝の言葉を棒げました。

中條会長からは、同窓会の今年の活動方針、5月1日の同窓会総会の記念コンサートとして、小杉真二のピアノリサイタル、水桶康子のオペラ歌唱を企画して準備中との由。7月第1金曜日では社会人講話を予定しているので関西支部から講師を、と要請されました。また荒木校長先生からは、今年の卒業式の様子と、進学状況。等々ご挨拶としてお話がありました。

飯山顧問による乾杯の音頭から和やかな会が始まりました。その中で、出席者全員から順番に自己紹介を兼ねて近況をご披露して戴き、最後は小嶋沼会長の軽妙な中〆ののち全員で校歌の斉唱。

二次会は希望者全員で祇園花見小路のスナック「ふじの」に移勤し、カラオケ等で楽しんだ後夕食。そしてハ坂神社に参詣。円山公園の満開の桜を眺め乍ら高台寺へ行きました。高台寺は太閤秀吉の奥方寧々の縁りの寺なのですが、庭園の満開のしだれ桜がライトアップで浮かぶ姿は、実に幻想的な美しさでした。

私共関西支部の総会は、できるだけ楽しく且つ思い出として残る様なものにしたいと考えて居ります。どうか来年も皆様お元気でご参加下さる様願って居ります。

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「平成18年度支部総会」

高第四回卒 支部長 森田悌司

私共の関西支部の総会は、毎年ご出席さる方々のお住まいが、北は滋賀県から西は岡山県と広範囲にわたっている為、その中間の大阪の駅周辺が、交通の使からも最も集まり易いのではないか、という判断からここ数年総会を大阪で関催して参った次第なのですが、今年は観光地として最も魅力的な京都での開催となりましたことを、先ず第一にご報告申し上げます。
 4月1日、京都の景勝地、「紅葉の高尾」と並び称される「花の嵐山」で、京料理の老舗として名高い「嵐山弁慶」に於いて、中條同窓会長、荒木校長先生、熊倉副会長、竹井副会長のご参加をいただき川崎清先生の「健康と回窓会の益々のご発展を祈る」乾杯のご発声により和気藹々たる会が始まりました。

井上氏の司会進行により出席者全員が自己紹介かたがた高校三年間に情熱を燃やした事などをご披露いたしました。

その中で特に印象深かったことは、化学の有本先生のご子息が三高の旧校庭が幼き日の遊び場たった由、なつかしい思い出話をされていました。又卒寿を越えておられる佐藤先輩は今年も元気に出席されていました。

荒本校長のお話の中では、今年、東大・京大各二名の合格をはじめ北大・東北大・新潟大などの国公立大学への進学卒が高かった由。進学校として県下でもトップクラスに入るのではないかと大いに誇らしく感じられたものです。

第二の報告事項として昨年7月6日、新校舎に於ける第三回社会人講話に森田が出向き、生物グループの生徒たちを対象に、第一種冷凍空調技士として社会に貢献するに至った経緯、国立大学工学部受験への高校生活を如何に過ごしたか、等を講演させて貰いました。

 
 

 

 
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